クラシックギターフラメンコ歴史の証人。
高橋功先生

クラシックギターの歴史証人 町田章一
ホアン一色、高橋功先生、町田章一先生

ある日CASAの昔からのお客様で大学教授の町田章一さんにCASAのお客様の最高年齢は96歳でとても元気でした、
などと話した所、もっと凄い方が居ますよ。
 この会話の始まりから、偶然にも1972年の私のリサイタル時に招待状さし上げた高橋功先生が今も元気で居られる事を知りました。

72年当時新宿のスペイン居酒屋グラナダでフラメンコギターを弾いている時に知り合った男性が高橋先生の甥ごさんでした、
その甥ごさんをとうしてご招待したのですが、残念ながら仕事の関係で無理と言う事でした。

そんな訳でお会いはしたことは有りませんが、高橋先生の事はよく知っておりました、
当時はクラシックギターやフラメンコギター教則本の推薦文や評論文をよく拝見したものです。

早速町田先生の紹介で高橋先生の自宅に御うかがいして来る事にしました。

昔の事でしたら何でも聞いてくださいと言われて、
アンドレス・セゴビアやホアキン・ロドリーゴなど先生が実際にお会いに成った歴史上の偉人たちの話を聞かせていただきました、

あのギターリストは日本では有名でだけど世界的にはたいした事無いよとか、ずばり明快な言葉で話し始めました。
私は私のリサイタルを聴きに来てなくて良かったと内心思ってしまいましたが。

先生は最高のギターリストはアンドレス・セゴビアだと言い切っていました、
アンドレス・セゴビアに変わる次の世代のギターリストがなかなか居ないなどとも、
影をしたいての作曲家の故古賀政男さんのお話や色々と聞かせていただきました、昔はマンドリンクラブの指導もしてたようです。

先生は現在ギターは10年ほど弾いたことが無いそうです、残念ですがギターは聴くことが出来ませんでした。

私はプロのギターリストではないからと謙遜しておりましたが若い時は結構ブイブイ言わせたのでは。

戦前戦後をとうして日本のギター界だけでなく世界のギター界を1世紀近くも見守ってきた高橋先生何時までもお元気で。


高橋功先生のプロフィール。
明治40年生れ。
博士は赤痢菌の発見者として知られる志賀潔博士の甥にあたり、眼科医であり出身地の、仙台市で眼科医院を開業していた。
東北帝国大学法文学部ドイツ文学科卒 京城帝国大学医学部卒 東北帝大附属病院眼科勤務 応召(軍医として会津若松陸軍病院勤務、第二師団・第二野戦病院庶務主任として南方作戦に従軍)。
1956年シュヴァイツァー病院に寄付金を送ったことから博士との文通が始まり、
1958年12月、渡欧の帰路、同病院に立ち寄った。そこで、博士から「半年間、手伝ってくれないか」と依頼を受け、要請に応じ"共同治療"が始まった。そして2年程遅れて夫人もアフリカに渡り、ともに現地で奉仕活動を行なった。
夫妻は博士の死後もシュヴァイツァー病院に残り、1966年帰国している。
 また、博士はドイツ文学に通じ、芸術に造詣が深く、音楽を愛し、博士自身ギターの名手として知られていたようである。
(「シュヴァイツァー博士とともに」より)

NGO紹介<アフリカ・ガボン支援の会>の照会文には以下のように紹介されております。

 ガボンの首都リーブルビルから車で3時間ほどのランバレネには、シュバイツアー博士によって建てられたシュバイツアー病院があります。
日本人医師、高橋功先生はここで、8年間医療活動をされ、その功績は、いまも高く評価されています。
高橋先生によって灯されたガボンと日本の親善の火を消さないためにも、同病院への支援をすることにしました。
らい病棟の担当医師として働いた功績は、今も高く評価されている。WFWPとも交流のある高橋さんによってともされた。

主な著作として以下の著書がある。

著者/シュヴァイツァー 訳編/高橋功

セゴビア・テクニック(ウラジミル・ボブリ 著,高橋功 訳)全音楽譜出版社

ギター音楽への招待 高橋功 音楽之友社

私とギター−喜寿を迎えて 著者名  高橋 功

日本ギタリスト協会の名誉会長でもある。

パリー国際ギターコンクールの審査員を6年務める。

(2003年3月25日 フラメンコ・ギターリスト、ホアン一色)

残念ながら2003年10月26日永眠されました。
天国で好きなギターを気の向くまま弾いていることと思います。


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